追悼おじいちゃんー心房細動はやっぱり怖いー

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祖父が亡くなりました。

95歳。

予想できなかったわけではないので、受け入れているのですが、

思っていたよりも悲しくて寂しい。

 

祖父は科学者でした。

なんでも原因や説明を求めました。

だから、まずは祖父が亡くなった原因を説明します。

 

心房細動はやっぱり怖い

 

このブログでも度々論文を紹介している心房細動。

心房細動が直接生命を脅かすわけではありません。

しかし、心房細動によって心臓に血栓ができ、それが脳の血管に詰まって脳梗塞を起こすことがあります。

だから、心房細動が見つかると血栓を作らないようにする薬(血液サラサラのお薬)を処方されます。

 

祖父も心房細動でした。

もちろん血液サラサラの薬(ワーファリン)を処方されて、しっかり飲んでいました。

その薬の大切さは誰よりも理解していました。

4月の半ば、祖父の大腸にガンが見つかりました。

そのがんの治療と手術のために入院しました。

手術を受けるので、血液サラサラのお薬はお休みしていました。

手術は無事に終わりましたが、手術から数日後、左の内頚動脈に血栓が詰まりました。

日本人の脳梗塞の3割を占める心原性脳塞栓です。

 

急性の脳梗塞の処置をするために別の病院に移りました。

そこでは脚の動脈からカテーテルを入れて頸動脈の血栓を取り除く治療が行われました。

 

祖父は何歳になっても生きる意欲にあふれていました。

 

カテーテル治療はうまくいき、内頚動脈は再灌流しました。

脳塞栓は数時間以内に処置をすると後遺症が残らないこともあるのです。

 

内頚動脈の血栓を取り除き、少し落ち着きました。

しかし・・・

祖父の身体にはたくさんの血栓があったそうです。

 

その日の早朝に再び急変しました。

蘇生措置には反応せず、旅立ちました。

 

最終的な死因は敗血症かDIC(播種性血管内凝固症候群)だそうです。

 

以上が、祖父が医師から聞けなかった祖父の最後です。

「わしは何で死んだんや?」と、きっと原因を知りたがると思うので書いておきます。

 

最後の最後まで前向きに生き続けました。

 

祖父は最後まで携帯電話を使っていたので、

そのうち私のブログにアクセスして読んでくれるでしょう。

天国のWiFi環境はどうなっているのか知りませんが。

 

さて、祖父は原子力の研究者でした。

核磁気共鳴(MRIの原基)や、核融合などの研究をしていました。

大学を引退後も去年まで毎年教え子が祖父の家に集まっていました。

学生に慕われていたんやな。

 

そして、私が大学院に進学する時に誰よりも応援してくれました。

博士の学位をとった時には、誰よりも喜んでくれました。

 

私は博士論文を3冊製本しました。

1冊は自分の物。

1冊は大学の図書館に置くもの(提出用)。

そしてもう1冊は祖父に渡すものです。

 

私は医学・保健学なので祖父の研究分野とは全く違いますが、

一生懸命読んでくれました。

 

はじめて英語論文が受理された時も、祖父に別刷りを渡して読んでもらいました。

その時も一生懸命読んでくれました。

 

今年、科研費が通ったことを祖父に報告しようと思っていました。

その報告は、お通夜の時になってしまいました。

きっと、「そりゃ立派や!」

と言ってくれていると思います。

報告した時の表情も見たかったな・・・。

 

 

お通夜の準備をしている時、祖父の部屋からたくさんの論文や本が出てきました。

 

そして、引退記念に作ったであろう業績一覧も。

 

業績を見ると私と同じ年齢やもう少し年を取ったころ、論文を次々に出していたことがわかりました。

 

「研究者はとにかく論文をかけ!」

そう言われているような気がしました。

 

私がここまでこれたのも、おじいちゃんのおかげ。

 

やさしくて、面白くて、科学に忠実で、社会に貢献した祖父。

 

原子力のことは全然わからないけど、人間として科学者としてとても尊敬しています。

 

おじいちゃん、ありがとう。

がんばって論文を書きます。

そして、夢を持った若い人の後押しができるように年を取りたいと思います。

少しでもおじいちゃんの意思を継げるように。

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