その夏、初めてセミが鳴く日

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5年前

 

その夏はじめてセミが鳴いた日は、朝からとてもいい天気でした。

 

私はソワソワしながら車を運転して病院へ向かいました。

不安と期待が混じった何とも言えない感情。

 

それは初めての感情でした。

 

病院まで車で10分。

 

たった10分の距離ですが、いろいろなことが思い浮かび涙がぽろぽろと流れ落ちました。

 

病院に着き、しばらくしてから手術が始まりました。

そして約1時間後。

 

産まれたばかりの長女と対面しました。

 

嬉しくて感動してまた涙が出ました。

 

帝王切開の手術も無事に終わり、母子ともに経過は良好でした。

 

家族が増えること。

 

それは何とも不思議なことでした。

日常は様変わりしましたが、幸せな毎日。

 

 

さて、それから約3年半がたった冬のある日。

 

二人目を授かったことがわかりました。

 

長女の時のように嬉しく感動しました。

長女の時とは少し違う感情でしたが、それもまた今まで感じたことのなかった感情でした。

 

予定日は10月4日

 

妻は夏まで働き、それから産休をとり、出産に備える予定でした。

2人目もまた帝王切開です。

 

 

 

しかし・・・・

 

 

 

「妊娠は何が起こるかわからない」

 

 

と言う言葉。

 

本当にそうでした。

 

 

 

7月のまだ梅雨が激しい時期。

 

連日の大雨。

 

我が家にも嵐がやってきました。

 

 

 

妻が突然の体調不良となり、病院へ運ばれたのです。

 

長女を連れだして買い物に出かけていた私。

 

連絡を受け、車をぶっ飛ばして45分で病院に行きました。

普段は1時間半かかる道のりです。

どんな運転をしたのか覚えていません。

 

 

病院に着くと、ER(救急救命室)の前に妻はいました。

 

とりあえず容態は良さそうでした。

 

長女を義母に預け、私たちは受診を待ちました。

 

 

そして産科医の診断の結果は、重症の妊娠高血圧症。

 

即入院です。

 

そこからはいろんな検査をして、ICUへ入り、バタバタして良く覚えていません。

 

 

ただ、私たちと主治医とのやり取りだけは鮮明に覚えています。

 

医師「母体の状態を見ながら、早く手術をして子どもを出すことになると思います」

私たち「(そうだよね。9月くらいに産まれちゃうかな)・・早くっていうのはいつごろですか?」

医師「今日かもしれません」

私たち「えぇ・・・・っ(絶句)」

 

その時点で妊娠26週

赤ちゃんの大きさは推定800gです。

 

 

医療職の私たち夫婦。

それがどういう意味なのか、今度どんなことが予想されるのか。

 

良くわかっていました。

 

不安と恐怖が私たちの周りを取り巻きました。

 

しかし、同時にどんな状態であっても、子どもを愛して育てるという自信もありました。

 

 

そこからの数時間は一生忘れることはないでしょう。

 

だんだんと体調が悪くなる妻。

 

お腹には胎児の心拍を測る装置がつけられます。

 

 

個室に響く胎児の心拍の音。

 

 

その心拍が弱くなってきたら、すぐに緊急手術です。

 

しかし、できるだけ時間を稼ぎたい。

 

何故なら、その時期の胎児はまだ肺が完成していません。

肺の成長を促す薬を使い、できる限り肺を成熟させてから出したいとのこと。

 

 

母体を守ろうとする胎児

胎児を守ろうとする母体

 

 

その戦いの音が病室に一晩中響き渡ります。

 

時々弱くなる心拍。

 

慌てて病室に駆け込んでくる医師と看護師。

 

再び元気を取り戻す赤ちゃんの心拍。

 

 

祈る私たち。

 

 

おねがい、がんばって、

 

何とか少しでも・・・。

 

 

 

それにしても800gってどんな大きさなのかなぁ。

 

そんな話をしていると、看護師さんが800gの大きさの赤ちゃんの人形を持ってきてくれました。

 

あっ・・・思ったよりしっかりしてる。

 

そう思った私たち。

 

勇気が出てきました。

 

 

こういう時の専門職の言動って本当に大事ね。

ありがとう。

 

 

そして一晩中、赤ちゃんは戦い続けました。

妻も戦い続けました。

 

 

夜が明け、朝になりました。

 

 

「そろそろ限界です。1時間後に緊急手術を行います」

 

 

いよいよです。

 

覚悟を決めました。

 

 

手術室に見送り、一人で待ちます。

 

 

子どもは生まれても小さいので、すぐにNICU(新生児集中治療室)に行きます。

そのため、手術室から出たところで保育器に入った状態でまず会うことができるのです。

その後はICUでしか会えません。

 

 

 

1時間後、看護師さんが来ました。

 

「そろそろなので、手術室の前に行きましょう」

 

 

長女の時とは違う感情です。

不安が感情のほとんどを占めていました。

 

 

手術室の前。

 

外を見ると雨が降っています。

4年前に長女が生まれたのと同じ手術室です。

そして、奇しくも4年前に長女が生まれたのと同じ日でした。

 

 

 

どたどたどたどたどた!!

 

「ぱぱーーーー!!!!」

 

 

義母に連れられた長女が走って来ました。

無邪気に駆け寄ってくる娘。

久しぶりに自分も笑顔を取り戻しました。

 

長女は、妹か弟の誕生に間に合いました。

 

駆け寄ってくる長女を抱っこ。

 

 

「お誕生日おめでとう」

そうです。長女はその日に4歳になったのです。

 

 

1年ぶりくらいに会った気がしました。

実際は12時間ぶりです。

 

 

 

そして・・・・

 

 

手術室から保育器が現れました。

 

 

「おめでとうございます。女の子です」

 

 

保育器の中には、小さいけど一生懸命生きている次女がいました。

 

もちろん、呼吸は助けてもらっています。

 

 

でも動いている。

 

832gです。

 

 

生きている。

 

 

しっかり生きている。

 

 

本当に一生懸命生きていました。

 

 

そして、長女が生まれた時と顔がそっくり。

 

 

「かわいい」

 

 

心の底からそう思い、また涙が溢れてきました。

 

妻の緊急入院からたったの12時間。

 

とてつもなく長い夜でした。

そして頭の中は混乱を極めていました。

 

妻の回復を待つ間、私たちは待合室にいました。

 

はしゃぐ長女をみて、やっと現実に戻ってきました。

 

「おめでとう」

 

そう言って、義母はコンビニの赤飯のおにぎりをくれました。

 

そうか。

これはお祝い事やったんやな。

 

 

やっと気づきました。

 

 

 

その時、次女が生まれた喜びが溢れてきました。

 

また涙も溢れてきました。

 

私の顔は大雨でしたが、

外に出ると、雨はやんでいました。

 

 

そして、その夏はじめてセミの声を聞きました。

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